宿命と運命。そして天命
人にはこの世に生を受けた以上、果たすべき使命があるというのが算命占学の考え方です。
中国古代文学博士の白川静先生は著書の中で「[1]自然的生のなかでは生きることの意味は問われていない。
その意味を問うのは、命(めい)にほかならない。命ははじめ令と書かれた。礼冠を著した人が跪いて、しずかに神の啓示を受けている。
おそらく聖職のものであろう。その啓示は、神がその人を通じて実現を求めるところの神意であった。(中略)その祈りに対して与えられる神意が命(めい)である。
生きることの意味はこの命を自覚することによって与えられる。いわゆる天命である。」と。([1] 白川静 著 「漢字百話」中公新書 1978初版 より)
算命占学では、神がその人を通じて実現を求めるところの命を二十二の星で著します。縦糸と横糸のように時間と空間にその星を配置し、それがその人の持って生まれた宿命の設計図となります。
人は宇宙の営みの媒介に過ぎないのでしょうか?
宿命の通りに運命を選択していくことはその人の持ってうまれた星を輝かせ、才能を生き生きと輝かせることができるのです。
でも、もし宿命とは反対方向に運命を選択していたら?
当然、行く手に困難が待ち受け、決して楽な道とはいえない人生を歩むことになるかもしれません。しかしその試練は人に徳を与えてくれると、算命占学ではいうのです。
「道を失ひいてしかる後に徳あり」(老子)